群馬県伊勢崎市 みやこ歯科

院長紹介

高橋 邦夫(たかはし くにお)

1990年 神奈川歯科大学卒
1995年 群馬県伊勢崎市にて、みやこ歯科医院開業
その他 群馬県高等歯科衛生士学院教授

初めて語る院長の過去から現在まで

小学校時代

私の実家は商売をやっており、1階は店2階は自宅でした。小学校時代は自宅の前が小学校だったこともあり、いつも泥んこになり日暮れまで遊んでいました。家に帰るとご飯を食べて風呂に入り寝るだけでした。この頃から外で遊ぶのが好きで家で何かをすることはなかったのです。(今でも休日は、はとんど家にいません)。

家では父が朝早くから夜遅くまで店で働いていました。食事中でもお客さんが来ると食事を中断して店に出て行きました。私はいつも父の食べかけのご飯を見ながら食事をしていた思い出があります。お客さんの前ではどんなに体調が悪くても明るく元気良く対応していた父を見て「働くって大変なのだな~」と子供ながらに感じました。

自営業だと休日なども自由に取れると思われがちですが、私の父はお正月の元旦以外は仕事をしていました。もちろん日曜日も。ですから休日に父と遊んだという思い出がほとんどありません。唯一覚えているのは、小学校低学年の時に校庭でキャッチボールをしたことくらいです。(私自身の子供にはそういう思いをさせたくはありません。)ですから父の仕事が少し早く終わってお風呂に一緒に入れる時がとても楽しみでした。父の大きな手と私の手を比べてその大きさにいつも「でかいなぁ~」と思っていました。

現在では私の方が身長も手の大きさも大きくなりましたが、今でも父の真面目で仕事一筋なところや、正義感が強く曲がったことが嫌いなところ、一つのことに集中して努力するところなどは尊敬しており、見習っていきたいと思います。

高校時代

高校1年の時、私の祖母が亡くなりました。その時初めて身近な人の「死」に直面しました。

まだ若かった祖母ですが病室で「まだ死にたくない」という言葉が今でも私の耳に残っています。なぜ、苦しんでいる人を何の手助けもできずにただ見ているだけなのか。なぜ痛みを取り除くことができないのか。これが、現在の医学の現状なのか。私は疑問に思いました。そして、それなら私が医学部に入ってそれを研究して苦しんでいる人たちを救ってあげようと思うようになりました。

このことがきっかけになり、医学部を目指そうという思いが、心の底から湧いてきました。その決意はとても強いものでした。絶対に医学部に入る。そのためには、あの時もっと勉強していればよかったという後悔をしたくありませんでした。部活も辞め、テレビも見ないことを自分自身のルールとして決め、一生懸命努力しました。

高校3年の時には、補習を学校の先生にしていただこうとお願いに行きました。私がお願いしたことは、早朝の補習授業でした。先生方はみな「放課後ならいいよ」と言ってくださいました。しかし私は、放課後だと友人が出るから自分も出るといった本当に熱意のある生徒だけでなく、中途半端な生徒も出席するだろうと考え、早朝補習にこだわり続けました。

私のお願いにたった一人の生物のH先生だけが納得してくださいました。早朝ならば、本当にやる気のある生徒しか来ないだろうという私の予想は的中し、初回は3人、2回目からは私一人でした。朝、5時に起床して、6時には家を出ます。冬はまだ暗いこともありました。朝7時前、用務員さんが来て玄関の鍵を開けてくれます。そして、私とH先生の二人だけの早朝補習が数ヶ月間続くことになりました。解く問題はすべて医学部の入試問題のみです。H先生は、私のために毎朝どの職員よりも早く来て、私に教えてくださいました。これには本当に感謝しています。おかげで、生物の全国模試の偏差値は76にまでになりました。

後日知ったことなのですが、当時私の高校では朝の職員会議が8時15分から始まるのですが、私の質問が長引くと、H先生はそれまでに職員室に入れないことがあったそうです。校長先生からは、職員会議に間に合うようにもっと早く学校に来なさいと注意されたそうです。でもH先生はそのことを私に一切言いませんでした。

そのことを知った時、私は涙が出ました。H先生の教師としての情熱や人間性はどれをとっても最高ですし、H先生以上の教師に会ったことはありません。

そして今、H先生はみやこ歯科医院の患者さんとして通院しています。今度は私がH先生に恩を返す時だと思っています。当院のクレドの1つである家族と思って最善を尽くすを実践しています。また、H先生を私自身が治療することができて、とても嬉しく思います。

挫折~コンプレックスの大学時代

医学部を目指したものの、その壁は厚く一浪しても希望する大学には合格出来ませんでした。絶対に医者になって若くして逝った祖母に報いたいと、その執念で努力しましたが…叶いませんでした。

不合格が決まった時、周囲の音も何も聞こえなくなり、ボーゼンとその場に立ち尽くすだけでした。本当に頭の中が真っ白になりました。何も考えられない。何もする気が起きない。そしてその場にひざまずいてしまいました。私はこれからどうやって生きていけばいいのだろう。途方にくれる毎日でした。

唯一受けた歯学部に、挫折感を引きずったまま入学しました。目的意識が不明確なまま大学生活を送ることになりました。そして同期生に医学の知識で負けるのが嫌で、図書館で歯学書ではなく医学書を読んで勉強しました。今、思い出だしても本当にコンプレックスの塊でした。

そんな時に出会ったのが、自動車でした。車は、私のそんな思いをかき消してくれる格好の乗り物でした。友人3人で5万円の中古車を買い日本各地へドライブに出掛けました。運転することが楽しく、ジムカーナやレーシングカートといったモータースポーツにまで手を伸ばしました。走っている時は、嫌なことを忘れて楽しめる瞬間でもありました。大学時代は、勉強もしましたがクルマのドライブでも並はずれた距離を走っていました。

勤務医時代~奇跡の復活!

大学を卒業して勤務医として勤め始めました。私は少しでも早く技術を習得しようと気持ちが焦っていました。まだ何も出来ないのに多くの研修会に出席し知識だけは増えていきました。そして間違った優越感を持ち、できる気になっていました。しかし、仕事へのやりがいは、見出せませんでした。

そんなある日のことです。初診で来た患者さんは、私と同じ歳の男性でした。口の中は、悲惨な状態で28本中24本が真っ黒な虫歯でした。笑うこともなく、小さな声でボソボソと話すだけの暗い感じの人でした。私は自分と同じ歳なのに、あまりにも歯が無いことにショックを受けました。他人事とは思えず、今どのように辛いのかを聞いてみると、少しずつですが 今までの歯のコンプレックスについて話してくれました。

小さな頃から虫歯が数多くあり、歯医者さんで麻酔をしてもらえず 嫌な思いをして以来行きたくなくなったこと。前歯が虫歯で無くなってしまい恥ずかしくて人と話すことが嫌になってしまったこと。虫歯が痛くても我慢して今まできたことなどを時間はかかりましたが、話してくれました。私にはものすごく辛い思いをして生きてきたことが、ヒシヒシと伝わってきました。

私は必ず麻酔をして、痛みを極力与えないように最大限の努力をして治療にあたることを約束しました。他人とは思えず、自分の家族と思って接した初めての患者さんでした。そしてNさんは、一年六ヶ月の長きにわたり毎週通院してきました。普通の人でもそれだけ長く通院することは困難だと思います。

そしてとうとう、28本中24本目の虫歯を治し終えたのです。「今日で終わりですよ」「Nさん、長い間お疲れ様でした」と私が言いました。その時のNさんの笑顔は、なんともいえない、爽やかな笑顔でした。口元からは白い歯がこぼれて声も大きく性格も、とても明るくよく話す青年に変わっていました。そしてその瞬間 私とNさんは自然に堅い握手を交わしていました。この時の手の感触は、今でもハッキリ覚えています。(感動しました)

そしてこの時、私自身も変わったのです。歯科医師としてのやりがいを見つけました。「これからやってやるぞー!」という気持ちが、湧いてきたのです。医学部へのコンプレックスは、いつしか無くなっていました。歯を治す方がたくさんの患者さんの笑顔を見ることができる。笑顔の無かった人がドンドン笑顔になってくる。患者さんの人生をより幸せに変えることができる仕事が歯科医師だと思うようになりました。それからは、毎日が楽しくて仕方ありませんでした。今では、この仕事を天職だと思っています。

みやこ歯科医院を開院して

1995年6月1日 伊勢崎市宮子町に、みやこ歯科医院を開院しました。当時は周りには何もなく田んぼの中にポツンとあるだけでした。 当時のコンセプトは、

1.プライバシーを大切にしたい
今までの歯科医院は治療ユニットが並んでいて横の患者さんが丸見えでした。私はすべて個室タイプにしました。隣は全く見えません。 

2.常に新しい知識を取り入れていきたい
東京のスタディグループに入り勤務医時代からずっと現在まで勉強を続けています。歯科の専門誌に論文を載せたり学会で症例発表をして研鑽を積んでいます。「伊勢崎で東京レベルの治療を」を目指します。

3.痛くない治療
私自身が痛がりです。皆様の辛さは、充分にわかります。そこで出来るだけ痛くない配慮をします。

4.詳しい説明
専門用語を一切使わず、丁寧にわかりやすくお話します。

5.コミュニケーション
一方通行の単なる説明ではなく、当院のスタッフと皆様がお互いに理解し合いよいコミュニケーションが取れるように努力する。気軽に何でも話せる楽しい歯科医院を目指します。

6.現状に満足すれば、成長は止まります。常にもっと上を目指していきます。

私が歯科医師になるまでもいろいろな出来事がありました。勤務医時代も決して平坦ではなかったです。医院を開業してからも挫折や失敗の繰り返しでした。しかし、私の中で、変わらないものがあります。それは歯に対してコンプレックスを持っていたり、悩んでいたり、辛い思いをしている人たち。そうした人たちの口の中を治療して綺麗にすることで、笑顔になってほしいのです。今より、幸せになってほしい。笑顔が出れば性格もより明るくなります。すると友人も増え、人間関係も良くなり仕事もずっと上手くいくようになります。そうすればより幸せな方向へ人生が変わります。

★歯を治すことで皆さまの人生をより幸せに変えたいと思っています。

この思いは今後も変わりません。

『笑顔は歯から』です。

院長の活動

セミナー発表など幅広い活動を行っています

院長は『群馬県高等歯科衛生士学院』の教授です